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快晴の朝。今日は午後出社の日。
数年前に強剪定して弱っていたハナミズキでしたが、今年は元気でした。樹形を整えるのが難しいのですが、いくつか、中くらいの太さの枝を伐採してみました。理想は、それほど樹高が高くなく、幹が太く、葉があまり多くない姿。数年がかりで行います。気を長く持って完成を目指したいと思います。
日本には古くから盆栽の文化があり、多くの特に年配の方が趣味としてきた理由がこの年齢になってわかったような気がします。近くの農園を借りて、幼少のころ庭にあった茄子やキュウリを育ててみたい。地に生えた野菜のつやつやした様は美術品のように美しいもので、目にするだけでも気持ちが落ち着きます。この先にあるのは、郊外に小さな平屋を買い、自然とともに過ごすことなのでしょうか。
以前より何度か書いていますが、税理士になるつもりなど全くなかった私です。この年齢になって、やっと自分が好きなこと、やりたいことが見えてきています。年初に、今年は、興味のないことをやってみることで本当に自分がやりたいことが見えてくるのではないかと考え、勧められるままある環境に身を置きました。予想通りの結果をえました。何もしないのが一番よくない、結果はどうであろうと、とにかく前に進むことが重要であることを、改めて認識しました。
東京に出てきたのは知らないことを追求するためだったのかもしれません。世界はどんなところなのだろう、首都の東京はどんなところなのだろう、なぜみな東京を目指すのだろう、世の中はどのような形で誰が動かしているのだろう、世のため人のためということはどれくらい大変なことなのだろう、など疑問がわき、その一つ一つをクリアするたびに、さらなる課題を見つけることができたのは、本当に幸運でした。
先月、幼少期を過ごした、鹿児島市の田舎町を20年ぶりくらいに訪問し、地元の方と会話し、当時を思いだすことができました。温暖かつ穏やかな、農業を主産業とする地で、よく父につれられ近くの海岸でキス釣りをしたものです。「ごっばば」といわれる「めごち」がかかるたびに、釣り針からこの棘のあるぬるぬるした魚を外さなければならないのかと、がっかりしたことなどはよい思い出です。この地で平屋を入手 など考えましたが、週末ふらりと、という近さでもないので難しいかも知れません。
中国と日本の関係がぎくしゃくしてきています。「正論をいうは易く、実現は困難」と、ご年配の有識者の方が話されていたのを聞いたことがあります。先の大戦における敗戦処理の中「植民地行為は欧米列強の真似をしただけ」と正論を話したことに対し「歴史の講義を受けるつもりはない」と切り返された、映画の1シーンを思い出します。かつて自分が学問を進める中で、正論を話す技術は、多くの識者は習得済みで、大切なのはそれを実現する手法だと知りました。そこにはいわゆる「人間力」が要求されるのであり、一朝一夕に習得できるものではないということです。
中国に対しあることを行えば、少し時間はかかると思いますが間違いなく融和的になっていくと思うのですが、まだその試みが行われている様子が見えていません。ある識者の方が言われていたことなのですが。
まだ近視眼的なのでしょうか。
表に出ないような形で動いているものと期待し、日本の行く末を静観していきたいと思います。



