Golden Rule?

五月の連休は、そのほとんどがさわやかな晴天に恵まれました。毎年、近所のハナミズキやつつじの花の美しさに立ち止まることが多かったのですが、今年はこいのぼりの壮大さに、心を踊らされました。
こいのぼりと言えば、喜入町の農村に住んでいたころ、どこからか父親が孟宗竹を入手してきて設置し、その頂点に、風車みたいなものが付いていたのを覚えています。近所の多くの家がにぎやかになって、あそこの家の鯉の方が大きいから良いと、残念な気持ちになったことなども記憶にあります。立派な兜を、また、どこからか両親が用意してきていました。当時は、こどもの日はちょっとしたしたイベントで、わくわくするひと時でした。今回、味噌あんこの柏餅を食べその美味しさに感動しましたが、当時味噌あんこを食べた記憶がありません。子供には柏餅の香りがどうしても好きになれず、これも記憶があまりない理由かなと思いました。
端午の節句は、奈良時代から続く厄払いの行事らしいです。今年は、こいのぼりに注目し、柏餅もしっかり食べましたので、厄を少々祓えたかもしれません。
歴史認識の研究を続けています。日本が大陸に進出していったのは、ロシアの南下への脅威が大きな理由であったことは間違いなく、その結果、長い期間良好な関係を保てていた、大陸の国々とのトラブルが発生し、結果的に、大陸国家の壮大な知恵にずるずると引き込まれる形で戦線を拡大していったことは事実のようです。日露戦争は、終結の時期を明確に意識していたことや、ロシア国内の政情不安もあって、ある意味奇麗な形で終えることができたのですが、日中戦争は、変な形で、ずるずると、戦線が間延びしていき、結果、後世にその付けを残す形になりました。当時、識者の中には戦線を広げることに強く反対していた人がいたにもかかわらず、現地軍部の独断を追認する形で、ずるずると日本は戦争に引きこまれていきます。
日本人のどこかに、戦に勝てば問題ないではないか(局地戦)ということや、植民地化への正当性があり、これを金科玉条のようにしていたから、歯止めが効かなくなったのではないか。もし、ヨーロッパやアフリカに、日本が進出したなら、積極的に戦線を広げず、また植民地を広げることはしなかったのではないか。ヨーロッパ諸国が、東南アジアを含むアジア諸国やアフリカなどの植民地化に対し、コスト高でわりに合わないことを認識し始めていたのに、植民地化の後進国である日本は、地の利があったからこそ、大陸へ積極的に進出していくことになったのではないか。欧州と日本を同様に考える危険性を、今の時代にも生かすべきではないか、などなど、複数の視点で、近代日本史を眺めております。
これらを踏まえ今考えていることは、時代は刻々と変化しており、安倍政権当時の外交政策と今やるべき政策は、世界情勢が大きく異なってきているので、本質は同じであっても、個々の政策の強度は変えるべきではないかということと、これに関連して、必要以上のことをやってはいけない、それは戦線を間延びさせることだから、国力に見合ったことをやるべきということです。大国は、国土の広大さや資源の豊富さという利点をもつのでいざという時もやはり大国なのであって、世界の真ん中で輝く日本でありたいという気持ちは理解できるし、そうでありたいと思う一人でもありますが、そもそも日本はそうではない。資源国でもなく、広大な国家のほとんどは海であり、そのコントロールは、広大な領土を持つ国より困難です。日本人のおもてなしや、きめ細やかさや、ルールを順守する国民性は、果たして大国に必須な条件なのか、いやそうではない、成熟した国家に敬意を払うことはあっても、であることだけで、資源国のような大国だと考えるのは、諸外国の「老獪さ」にしてやられているのではないか。そのうち日本はコケるだろうと。
日中戦争の際、ドイツの指導により防御陣地を強固に固めた中国軍に苦戦し時には敗退した日本、インパール作戦の際に、地の利を生かしたイギリス軍に時間稼ぎをされ、糧食が尽きて大敗退した日本、根性論的思考が先行し、敵軍を軽視し大敗退したノモンハン事件などを思い出すと、勢いに乗りすぎて、どんどん前に進むことの危険性を感じております。
一方で、この数年間の日本外交の活躍は目覚ましいものがあり、本当にありがたいことだと思っております。
この年齢になって、判断が及ぼす影響の大きさを心より感じている毎日です。




