8月も終わります

まだまだこの数年間の調整をしなければならない状態で忙しい毎日です。こんなとき支えになるのは、お客様からの励ましの言葉です。先生が忙しくしているのはわかっていたのであまり声をかけなかったのですよと、ある社長さんに先日言われ、その配慮に感謝し、久しぶりにお互いの近況を語りあいました。私のこの数年間をじっくり聞いてくださったあと「それはいい経験をされましたね、一生の財産になりますね」との言葉に、救われたような気がしました。第三者の言葉が、受け入れるべき真実なのかもしれません。

周囲からみると、うまくいっているようにみえる、しかし内情はそうでないことはよくあります。私がこの数年楽しかったかというと、否、そうではなかったというのが正直なところです。厳しくトレーニングされ続け、毎日もがき続けていました。その一方で充実していたことは確かであり、心の底から多くの方々に感謝しているのもまた正直なところです。

以前通っていたジムでスタッフの一人と仲良くなりました。快活なスタッフが多く、接客がずば抜けて素晴らしいジムだったので気に入っていたのですが、そのスタッフによると、社員教育は大変厳しく、学生のアルバイトであろうと、正社員であろうとトレーニング方法は一緒で、容赦なかったという事でした。お客様に対して心地いい状況を作り継続させていくことが、どれだけ大変なことか、そんな状況を作り続けている人たちの苦労に、しみじみ感じ言ったことを覚えています。

話は全然変わりますが、毎年8月になると、先の大戦関係のTV番組が数多く放映されます。幼少より「8月は必ずこのような番組を見る時期、そして平和はありがたいと感謝する時期なのだよ」と親に刷り込まれて育った私は、8月は今でも戦争について考え、涙を流す月です。

戦争の時代を経験した人がお亡くなりになるにつれ、国全体で戦争の記憶がおぼろげになっていくことに多少の不安を覚えます。中学生のころ放映されていた先の大戦関係の番組は、いまよりおどろおどろしいもので、怖くて夜なかなか眠れないほどのものが多かったように思います。今は軽いものが多いです。なぜなのでしょうか。現在はTVで放映できないシーンが数多くあるのからなのかもしれません。しかし戦争番組については、勇気を持って、例外的に、怖くても事実をそのまま放映すべきではないかと思います(有料放送ではインパクト強いシーンが流されているのに?)。

中学生の時、夜、皆が寝静まったころ「お前殺すぞ!おれは戦争で多くの人を殺してきたんだぞ!人を殺すのなんていつでもできるんだからな!」と路上で叫んでいる近所のお年寄りがいました。その恐ろしさは私の記憶に残り、これが、戦争がもたらした一つの真実なのだなと感じました。戦争は経験した人でないとわからない。戦争を経験した人だからこそこんな発言が思わず口から出てくる。戦争を知らない私たちが考えなければならないのは、そんな言葉が思わず口から出てくるほどその人の心に影響を与えた戦争は、計り知れないほど怖いものという事です。

そしてそんな戦争経験者の英知によってこれまで平和が維持されている。今の世界の平和は「戦争を起こしたらあなただってただじゃすまないんだからな」と、各国が主張しあって維持されている。このような平和維持の仕組みは、先の大戦を戦った者同士が、もう二度と戦争は嫌と、平和を願いながら、必死になって作った取り決めがベースとなっている極めて重いものです。戦争を知らない私たち世代の人が、終戦間もないころに作られた、そんな重い重い、国家間のとりきめを軽々にひっくり返すようなことをしていいのか。「お前殺すぞ!」どころかもっと酷い言葉が普通に使われていたであろう当時に思いを馳せるべきです。そんな状況下の人達が作った、また互いに銃をとって戦った者同士が未来の平和を願って作った仕組みです。だからこそ重みがあり、何よりも傾聴して維持すべく努力していくべきものだと考えます。

大学院で役員給与税制の研究をする中で、明治時代の研究者も、現代の研究者も考えることはあまり変わらなかったことに気が付き、驚き、オリジナリティが出せず、やる気が失われたのを覚えています。先人たちは決して配慮が足りなかったわけではなかった。しっかりと考えたうえで、結論を出していた。法学の世界は奥が深いと感じました。先人の知恵は傾聴すべきです。

 

来月は戦闘機の写真を撮りに行きます。ちなみに私が戦闘機を好きなのは、高性能の戦闘機の存在が、日本の平和に貢献しているという事実を受け入れているのと、戦闘機を駆使して、平和を維持するために影ながら必死になって日夜フロントラインで活動している人たちに感謝しているからです。

 8月ももう終わりです。

 

  

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Posted by obotax