大阪、奈良、京都(2)

 

奈良では一時天候に恵まれませんでしたが、大阪と京都ではからりと晴れた秋空を満喫できました。

奈良で最も感銘をうけたのは、東大寺の盧遮那仏の造象にあたっての聖武天皇のお考えでした。すなわち「人々がおもいやりの心でつながり、子供たちの命が次世代に続くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、造象にあたっては、広く国民に、一枝の草、ひとにぎりの土、の助援を呼びかけた」とのことでした。

天平の御世に、このような考えを先達がすでに持たれていたことに、深く感銘をうけました。私たち日本人の特長である、誠実で他者を思いやる心は、すでにこの時代に存在していたのです。廬舎那仏を前にしばらく立ち尽くしてしまいました。一体何人の人たちがこの仏様によって救われてきたのであろうと。

南大門をくぐり帰途につきました。長い歴史の中で、幾多の困難を経て、その古さの中に雄大さが培われつづけてきた堂々たる姿のこの門をみて誇りに思い、いまさらながらこの歴史的建造物を、しっかりと保存していく必要があると思いました。

インバウンドの観光客なのか、近年日本に住んだ人なのかわかりませんが、外国語を話す親子連れが、門によりかかり、道をふさぎ、他の観光客が通れず静かに待っていることに全く気がつかないで騒いでいる様子を見て、大変残念に思いました。以前インバウンドの観光客についてコラムに記したことがあります。当時から私が思っていることですが、数が増えればいいというものではない、日本に来たら日本のマナーをきちんと守ってほしい。守れる人なら大歓迎です。

インバウンドの観光客といえば例えばイタリア人、イタリアに行けば誰でも歴史的建造物を間近に見ることができます。そのあたりにポツンと置いてある。歴史的建造物と共存しているイタリア人は、日本で多くの古い神社仏閣やお城をみて、日本の歴史に驚愕し、日本人は彼らと同様に歴史を大切にする国であることに気が付き、日本の奥深さに共感を覚え、日本を高く評価してくれているということを聞いたことがあります。そんな感覚を持っている外国人、あるいはそんな感覚を味わいたい外国人に来てほしい。コロナによって観光客が減少している今、観光客数を追い求めるだけではなく、日本をどのような観光地にするかという戦略的な視点に立った上で、日本の観光政策を今一度、冷静に考える必要があるように思いました。

   

   

 


同様のことは、京都でも感じました。京都は長年日本の中心地でした。京都を愛し、伝統に誇りをもつ様を、すべてのタクシーの運転手との話から感じることができました。タクシーを降りる際の「おおきに」の一言に、京都の人の誇りが集約されてたように思えます。自分の街に誇りをもてるいうことは本当にすばらしいことです。これは日本人の自信につながること。開発や観光という名目のもとに日本を食い物にしてはいけない。どんな国なのかわけがわからなくなり、自分の街に自信が持てなくなるのではと。

二条城において、混雑した中で、マスクをしないで散策している若い観光客が多かったのはとても残念でした。コロナ対策あっての観光ということを忘れている様子でした。日本人ならば日本のルールを守ってほしい。

    

 

  

 

15年ほど前に大阪に行った時には、その騒がしい雰囲気になじめなかったことを記憶しています。しかし今回感じたのは、大都市大阪であること。大人しい、落ち着いた雰囲気で、食事もおいしく、店員さんもそつなく、一般的に肯定的に語られる都会の雰囲気がありました。これまで大阪に抱いていた否定的なイメージが覆されました。東京も、私が鹿児島から出てきた当時は、今よりせわしなく、なじみにくい雰囲気がありましたので、日本全国が、この30年くらいの間に、成熟した社会に成長したからなのかも知れません。あるいはこの8年くらいの間に、日本人全員が自信を取り戻して、私自身も気分的にゆとりをもって散策できたこともあると思います。日本全体の変化であるのか、別の機会に自分なりに検証することができれば、今後の人生、より面白いものになるかもしれません。

いずれにしても、今回の旅行で、日本という素晴らしい国に生まれて本当に良かったと思いました。

  

  

次の旅行を考えるのが楽しみです。

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Posted by obotax