お盆休み



今年のお盆休みは、ほとんど運動と読書をして過ごしました。
祖先のことを想い、祖先に感謝し、日本人であることに感謝する日々を過ごせました。

昨今のウクライナや台湾情勢に問題意識を持ってのことかと思いますが、歴史学や政治学における専門家の方々から、先の大戦についての研究書籍が、出版されています。
50代の私たち世代で、先の大戦に至るまでの経緯を、ある程度の確信をもって語ることができる人はほとんどいないと思います。ただでさえ難解な戦争の歴史について、学校の教科書で学んだだけで、本質めいた事など知ることはできないのは当たり前のことです。また戦後、平和で、戦争にほぼかかわりのなかった日本では、戦争について、自らのこととして考え、学ぶ必要がなかったことが、主な原因だと思います。
さらに、自由に戦争について研究成果を発表すること自体、ある意味タブー視されていたことがあるかと思います。先の大戦の持つ悲しさを考え、体験者の気持ちを想うと、自由に語ることを遠慮していたこともあろうかと思います。

私たち世代の研究が進むことを歓迎する一方、戦争経験者の方々の数は年々少なくなっています。
彼らの体験談を踏まえて、研究を進めることも必要なことと考えます。

そういえば昨今思うのですが、国防強化を提唱する人たちに対し「いけいけどんどん」とか「勇ましい人」と否定的に言い、感情的かつ観念的に反対する人達は、戦争についてじっくりと勉強したことがないのではないかと思います。否定的に用いる「勇ましさ」の定義を語ってほしい。安易な感情的・観念的な発言は、極めて危険なものであり、控えてほしい。

加えて、戦争について考えることすら忌避するかの如く、真っ向から反対する人たちを見て思うのは、先人の行った判断等の過ちを受け入れ認め、そのうえで戦ったことを否定しない、いわゆる先人を敬う気持ちは「教養」がもたらす側面が多いと思いますが、このような「教養」は、幼い時から長い時間をかけて学ぶもの、そんな「教養」の教育といいますか、私たちが親世代から当たり前のこととして見聞きして素直に受け入れてきたことを、肌身で体験する機会が不足してきているのではないかと考えます。

総じて、先の戦争について、学習不足、体験的な勉強不足であることが原因だと思います。


まずは、先の戦争を行うことになった経緯、そしてなぜ特攻までやることになったのか、戦争の影響を受けた戦後政治とはどのようなものであったのか、最低でもこれらを、時間をかけて、多くの内外の識者から学ぶことが、私たち世代には必要だと思います。

若い人たちに言いたいのは、現代のIT社会において、インターネット情報だけでは「教養」を得ることは到底できないですから、直接の会話の中で、肌身で感じる機会を自ら作ること。
社会全体で行う教養(道徳)教育の重要さを、ひしひしと感じているところです。



書きたいことは他にも多々ありますが、来月以降にいたします。