スキャンダル

10月になりました。今週前半は気温が上がるそうですが、週末には少し寒くなりそうです。
3連休を利用して、4回目のワクチン接種に行ってこようと思っています。

コロナといえば、みな、最近は感染者数の動向など気にしないで生活しています。身近なところで感染者が出たことを経験し、自分自身も感染した人が多くなってきているのが理由ではないかと思います。それでも生活できていますし、この感染症で、自身の生活が大きく変わった人は、身近にはあまりいない、だから安心しているのかも知れません。
本来、この状況がもっと早く訪れるべきだったと思いますが「コロナは怖い」とか、「病床が足りない」などといった報道に、国民が混乱し、過剰に反応していたことが、コロナを受け入れるのに時間がかかった原因であるように思います。


昨今の日本国民の混乱ぶりには驚きます。大丈夫でしょうか。

宗教と政治の関係が盛んに報道されています。
宗教と政治の問題は、古くは信長の時代からあるものです(もっと前かも知れません)。
信長も、秀吉も、家康も、宗教を潰すことはできず、和解し、取り込み、必要に応じ弱体化させ、柔軟に彼らには対応してきました。信じる心を潰すことなどできるはずなどありません。信教のために命を落とし、戦争を起こしてきたのが、日本のみならず、全人類共通の歴史でもあります。

さて、そもそも、問題のあった宗教団体の問題行為と、政治家の行動とは切り離すべきだと考えますし、ごちゃまぜに議論しても結論は出ないように思います。ごちゃまぜにしたい人たちが何を目的としているのかを冷静に見る必要があります。

また、この宗教団体ですが、国民の多くは、その存在すら知らなかったものです。それほど問題な団体なのなら、これまでなぜあまり取り上げてこなかったのでしょうか。この団体に反対する人たちは、今まで何をしてきたのか、疑問を持たざるを得ません。

将来似たような形で、全く別の問題が出てきたときに、また、場当たり的にクローズアップされ、批判するようなことが起きるかもしれません。これはスキャンダルを好む現象であり、問題をどのように解決していくかということより、国民は、スキャンダルを求めているのではないかと、若干心配になっています。

スキャンダルを求めることが、国益にかなうことならともかく、そうでないのなら、困ったものだととらえ、何らかの対処が必要なのかもしれません。

いえ、コロナで溜まりに溜まったエネルギーが、行き場をなくして、右往左往しているだけなのかも知れません。また、国際紛争によって不安な・不安定な気持ちが、背景にあるのかもしれません。


旅行でもして、気晴らしする、
趣味や娯楽を楽しむ、
そんなゆとりが必要なのかも知れません。
 
真面目過ぎは良くない。
過ぎたるはなお及ばざるが如し。

でも私の周囲の人たちは、関わりのない事と気にも留めていませんが。どうなのでしょうか。